ゴジラ-1.0

ネタバレを大いに含みます。
読みたくない人はそっ閉じしましょう。

シンゴジが思ってた以上に良かったからね。今回はどんなもんかなと。
初代をリスペクトみたいなうわさも聞いてたし、映画館の割引クーポンもあったし。(笑)
ただ、監督が三丁目の夕日の人だと聞いてたので、昭和の義理と人情とホームドラマに強いタイプか…どうなんだろうという気持ちもあった。
見に行く前に調べたらユアストーリーの監督だとも聞いて、ますます不安になった。
#ドラクエを原案とした、まさかの夢オチでファンの期待をこれでもかと叩き潰した映画。製作委員会がキャラのネーミングのことで作家の久美沙織ともめたりもしてる。

結果としては、面白かった。
ちゃんとゴジラ映画だった。と同時に昭和ノスタルジーと美しい助け合い精神にも満ちていて、そっちは三丁目の夕日路線。

思ったことつらつらと。

引き上げ船で、死んだ整備兵たちが持っていた写真を敷島が押し付けられるシーンあったけど、その場の全員が兵服で誰が誰やら区別がつかず、私は役者の名前も顔もほぼ知らない覚えてない(ちゃんと名前が出てきたのは安藤サクラだけだ)ため、誰が誰に何をしたのか全く分からなかった。
死体が並んでるシーンで投げつけられるほうがよっぽどわかりやすかった。

子供はたいそう可愛らしい演技でよかったが、私が安藤サクラ演じるおばちゃんの立場なら、あんな二人に子供任せてらんないから赤子のうちに理由付けて奪い取る。三人育てた実績あるんだし。
そもそもしょっぱなブチぎれしてたじゃん。特攻から逃げたヘタレのお前みたいなやつのせいで子供もお前の親も死んだんだって。そんな奴に任せられんわ。

序盤にある敷島の行動の裏にある心情についてはノベライズに詳しくあるそうだけど、映画で読み取れない以上、それはないものと思うしかないと思う。そうではないかと想像させる余白はほぼなかった。
帰国後に安藤サクラにののしられながら、生きて帰れという母の言葉を思い出すシーンはあるものの、あの頃若い息子を戦地へ送り出す親なら誰しも腹の底では思っていたことだろうし、それを特別とは感じなかった。
原作があっての映画化なら尺に合わせたカットもやむ無しだろうけどそうではないし、想像を促すような描き方もできたはず。

心の傷が深いとはいえ、深いからこそ恐怖から逃げ出そうと、同じ屋根の下にいる美しい娘を普通は襲うだろ…どんだけ清廉潔癖なんだよ。未遂以下のシーンは一度あったけど。

ゴジラが出てくるシーンは文句なし。圧倒的暴力。なすすべもない、震えて死を待つだけの絶望感はすごかった。体格はキングオブモンスターズだっけ、あれっぽい。頭が小さく首が太く、手がそれなりに使えそうで足としっぽが太くてでかい。恐竜を意識してる感じ。水中を移動してくるとき、背びれだけが見えてその下にある巨体を想像させるのがよかった。
熱線を吐く前に背びれがビコンと飛び出すギミックは要らんと思ったが、まぁ絵面映えを考えたんだろう。
熱線を吐くシーンについてはシンゴジがとんでもなく素晴らしかったからな。温度が低いうちは炎を吐き、高まってくると青い光線になるのは理にかなってるし美しかった。
ゴジラのテーマが流れるのはやっぱりいいね。ゴジラだーってなる。

銀座のシーンでゴジラのテーマが組曲になっててモスゴジの曲が混ざっている。マーラモスラーってやつ。
Xで誰かが書いてたけど、あの曲をこんな破壊のシーンで使うなんて、て悲しがってらした。
(調べた。マハラ・モスラという曲名だった。卵を孵す時に歌うお祈りの歌)

引き続き銀座のシーンの事。
熱線に吹き飛ばされる直前に典子が敷島を突き飛ばして守るシーンは強く印象に残った。熱波暴風を受けて空高く吹き飛ばされる人体は、ゴジラの非情さや残酷さをこれでもかと見せつけてる感じ。
が、そのシーンを作るためにあっさり敷島が典子を見つけたのは納得いかない。逃げ惑う人でごった返す中、一緒にいたわけでもない目的の相手なんか見つからないよ。
その前の電車のシーンも、一般人あそこ迄踏ん張れないって思った。そもそもあの高さから落ちてれば、無傷だったとしても打ち身でえぐいことになってると思う。飛び込み選手みたいに綺麗に入っていればまだしも。
働いている会社は知っていただろうし、ゴジラが襲う直前位に会社について、連れ帰ろうとするくらいでよかったと思う。またはバイクの後ろに乗せて必死に走らせていたが地面が割れてひっくり返って…とかやりようはあったろう。
前提がリアリティなさすぎでしたね。

そのあと、今できる全ての知恵と力を振り絞ってゴジラに立ち向かっていくわけですが、飛べる飛行機を探しているのは自分が出来る最大級の事(特攻)をしようと、死に場所を求めての事なんだろうと想像。実際そうなわけで。
見つけた飛行機を整備してもらうために大戸島の整備班長を探すんだけど、誹謗中傷をばらまいて怒りで引きずり出すって、それ絶対協力してもらえない流れだよ。理由聞かされても、傷つけられた名誉は回復しないわけで。敷島が一軒一軒「嘘でした」って頭下げて回らなきゃならない案件だよ…。

あの時やれなかった特攻をやる、大戸島のみんなの無念を晴らすという敷島の意思を確認して協力する班長。しかし雰囲気的に、こいつをもう一度死地にやってもいいのかという気持ちもあるような表情。
積んだ爆弾の説明シーンは何か含みのあるような空気だったので、何らかの脱出案が組み込まれてるなとは思った。
脱出装置も付いてない棺桶飛行機に兵士を乗せていたと言いう戦争末期の状況を語るシーンもあったしね。

ゴジラと戦うシーンは圧巻だった。あとで情報をいろいろ探したら、あの海のシーンはCGや合成などではなく実際に海で演技をしていたそうで、だからこそのリアリティだったらしい。
ゴジラを倒せそうだとなって、あと一歩足りない状況で敷島がゴジラの口に向かって、爆弾を満載した飛行機で特攻、顔面を吹き飛ばしてついにゴジラが海に沈む。
そして謎の敬礼…。

脱出案は結局事前に聞かされていて、突っ込む直前に脱出装置を起動して逃げていた。
これもねえ。私は爆弾を起爆する装置と連動して脱出装置が起動する、敷島は何も知らなかったが整備班長立花が「やはりお前は死んではいけない」とこっそり仕掛けをしていたのだった。立花が自分を許してくれていたこと、生きろと言ってくれたことに感謝し涙する敷島…みたいな、本人が知らなかったパターンを期待してたんだ。
事前に全部セッティングされてて、いざとなれば逃げられる状況だったんじゃん、ってがっかりした。
敷島の心情が、死にたくないけど俺がここでやらなければみんなが助からないという究極の選択であってほしかった。

典子が生きてたのも興ざめだった。
メインキャストはみんな死にませんでした、めでたしめでたし。は違うと思うんだよな。なんだろう、運動会のかけっこで、おててつないでみんなでゴールみたいなこの感じ。
なんか含み持たせたエンディングも、急に今風な演出ぶっこんだなと思った。庵野風というか。
あれは考察サイトなんかでは「被爆の比喩」とも「G細胞の侵食」とも取られているらしい。私は動くのを見るまでは前者だと思ってた。
ほんで、なんで明子はおかあちゃん!って典子に飛びついていかないの。行くだろ普通。あんなにお母さんがいない事を不安がってたのに。
G細胞っぽいものに侵されて既にそれはもうお母さんじゃないって感じ取ってる演出なの?
あんなしかけは不要だったよ。

なんかほんとにね、ゴジラが出てるシーンはどこも出来がすごくいいのよ。
それだけに、ドラマ部分がなんかちょっと、なんか引っかかるんだよな。
悪くはない。演技もうまい。ちょいちょい目が覚めるけど見ていて十分引き込まれる。
でも何にも残らない。あー面白かった、で終わり。二回目はない。

以上だー。

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