飼い主の責任

あっちのブログには書けないんで、ここでブツブツと。
ペットを飼う、ってのは、その時点で人間のエゴだわな。
飼うと決めた以上、人間社会において、その人には管理責任が発生する。
ペットの行動すべてに責任を持たなくてはいけない。
そりゃ、動物には動物なりの欲求がある。子孫を残したいという欲求、思い通りに行動したい欲求、食べたいときに食べたいものを食べ、したいところで排泄する欲求。
けれどそれは、飼い主が人間社会で許される範囲で管理する必要がある。
「子供が見たかったから交配した」「欲しがるから○○を食べさせた」「行きたがるから外に放した」。
こういうのは、管理できているとは言えない。
隣の家の明かりが見えないような田舎なら、他人に迷惑をかけることもないだろう。
けれど住宅が密集する都会では、ペットの管理は徹底すべきだと思う。
交配させれば子供が生まれる。動物はたいてい複数匹産む。
産まれた子供は飼い主が責任を持たなくてはいけない。
全頭飼える環境であるならまだしも、飼えもしないのに産ませておいて「産まれちゃったの、誰かもらって」というのは責任転嫁。
無理やり狭いところで複数匹飼うのは虐待。
欲しがるからと栄養価も考えずに食べ物を与えて、結果不健康になるのも虐待。
行きたがるからと外に放すのは責任放棄。
「かわいそう」「自然に任せたい」なんていうのは飼い主の逃げ。生き物の生を支配している罪悪感から逃げたいだけ。責任をとりたくないだけだと思う。
本気でそう言っているのなら、人間の都合で飼育している時点でエゴだと気づくべき。飼ったりエサやったりするなと思う。
自分のペットすら管理できない人間が、地域動物活動をがんばってるボラを否定する資格はない。
そういう綺麗事を言う連中が、野良を増やす手伝いをしていたり、汚物にまみれて弱肉強食にさらされて奇形で産まれてくる子を増やすんだ。
ペットを飼うなら、人間社会のルールにのっとって、責任を果たすべきだと思う。
四角い話はこのへんで。
ところで、わしには判らないことがひとつ。
ペットの不妊管理をきちんとしている人でも、「子が産まれても飼えないからやむなく手術をしたが、一度くらいは出産を経験させたかった」と言う人が多い。
なんでさせたいのかわからない。
永遠の子供、永遠の赤ちゃんである現在のペットが居れば、それで十分だとわしは思うんだけど。
もう一匹欲しいなら、保健所なり譲渡会に行けばいいだろうと思うし。
じーちゃんばーちゃんの立場になれば判るんじゃないかと言われたが、あいにくその予定もないし、あったとしても果てしなく先だ。
どうもその感情には理解できそうもない。

飼い主の責任” への2件のフィードバック

  1. うちにいたメス犬も出産経験無く、他界しました。
    「一度くらいは出産を経験させたかった」は何となく分かる。
    毎月、赤ん坊を育てるためのベッドを体が形成しているのに、
    一度もそのベッドを使わないまま、当人の意見も聞かないまま
    飼い主の都合で生ませないようにしてしまった 
    というような感情だと思う。
    メスとして生まれた=体は赤ん坊を産むように作られている
    生ませない=不自然なこと
    わしらは自分の人生を自分で選択しているけど、ペットの人生(猫生)は、
    他人である飼い主に左右されているよな。
    当人にどうしたいのか確認出来ないけど、猫と話が出来たら
    『当人は生みたかったかもな』てな感じじゃない?

  2. 動物は子供を産みたいだの子孫を残したいだのという事は考えてるわけじゃなく、ただ本能のまま行動しているだけだと思うん。
    本能に基づく行動を、擬人化してあれこれ考えるというのは私には理解出来ない、という事です。

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