食べ物だけでなく、創作をするということにも賞味期限があると思う。
美味しく食べられる時期を過ぎても食べることは出来る。けど時間が経てば経つほどおいしく食べることは出来なくなる。
創作する人が生きていくうちにいろんなことを経験することで、その創作物が徐々に変わっていく。
基本の考え方は変わらなくても、なんとなく違っていくんだ。
好きなバンドがあった。
そのバンドはメンバーの一人が作詞も作曲も手掛けていたのだけど、人気が安定して自分たちのペースで音楽をやっていけるようになった分思索する時間も増えたんだろう、40を超えた頃から歌詞も曲も装飾華美になって行った。
昔は、歌詞は誰でも分かるような言葉で作らなきゃと言ってた人だった。ライブで出せない音作りはしない人だった。
これはもう、私が好きだったバンドの曲ではない。そう気づいた時、もうライブに行くの止めようって思った。
友達付き合いなんかもあったからそれからもしばらくは行ってたけど、なんか適当な理由をつけて次のツアーはお休みすると言って、それっきり。
好きな作家さんが居た。
特に短編が好きで、短編集を買い集めていた。
60を超えた頃から長編ばかり書くようになり、その頃から、なんか違うなって感じるようになった。
テーマ自体はいろいろなので展開も違うのだけれど、出てくる女性がいつも同じタイプで、昔からヒロインはそういうタイプが多かったから、たぶんこれは作家本人の夢見る理想の女性像なんだろう。主人公はそんな女性と薄膜越しで触れ合うようなもどかしい関係を維持しながらストーリーが進む。
なんか作者の理想の女性を追い求める話ばかり読まされているような気になってきて、キャラクターに感情移入なんか当然出来ないし(こんな女性昭和の映画の中にしかいないだろって感じ)、何を読んでもそこが引っかかって読まなくなってしまった。
何でこんな話をしてるかと言うと。
前回のエントリで書いてた、最後の1冊が手元に来たわけだよ。
読んだ…読んだと言えるかどうかわからないけど読んだ。
なんかものすごく読みにくかった。くだくだしいの一言に尽きる。
登場人物二人がとにかくひたすら状況説明とその時の自分の気持ちをだらだらと述べ続けるエッセイとしか言いようのないものだった。
あっちこっちに話を飛ばしつついつまでも続く女性のおしゃべり、が一番近いかもしれない。
たった一文を読み下すことすらきつく、結局要点になるだろうところを拾いながらサラサラと流し進めて読了した。
その本の原点である、30年ほど前に刊行されたシリーズ最初の本をパラ見したんだけど、そっちはちゃんと小説だった。会話のシーンも多いし一文もそんなに長くない。
この作家は30年の間に、そういう風になってしまったんだ。ガラパゴス化と言っていいと思う。
彼らの賞味期限は切れてしまったのだ、と思う。
まぁ単純に、私の方が変わってしまって、感性が合わなくなったってだけとも言えるけど。実際彼らには今でも日本中にファンがいるわけだし。
私自身も淋しいし残念なんだよ?
存在しているにもかかわらず、大好きだったものはもう手に入らなくなってしまったんだから。
そう言えば読んでいて一つ思ったこと。
割と目に付く単語「うべなう」。
「諾う」と書いている時と「肯う」と書いている時があったけど、どちらも言葉は同じ。
漢字から推測するに「物事に対して肯定的な態度、認めること」だと思う。
実際調べてみると、複数の意味はあるものの「同意する。願い、要求などを聞き入れる」の意で使っているのだと思うので、ほぼ間違ってはいない。
彼女はおそらくこの表現が好きなんだろう。
しかしこの言葉については日常的に使われるものではなく、辞書を引かないと判らないような、使用頻度の低い言葉だ。漢字に興味ない人ならピンとくることもないだろう。
そういう、読者の事をあまり考えず書きたいことを書きたいように書いてるところもガラパゴス化してるなって思う。
編集は何も言わないのだろうか。
言われたところで、「ふっふーんだ。いいもーん。あたし、そういうの、だいっ嫌い」とでも言うのだろうか。