平成最後の日に平成最初の日の思い出話を。

今日は平成31年4月30日。
明日令和元年5月1日っす。

平成最後の日に、平成最初の思い出など。

えーと、年バレだけど、私は平成元年の新社会人っす。
昭和が学生、平成が全部社会人。
今でも覚えてるけど、昭和64年1月7日。1月10日に卒論の提出日を控えて、徹夜で卒論書いてる最中だった。
お腹空いたなと思って階下に降りると、母が「天皇サン亡くならはったで!」。
正直寝てないし脳は卒論テーマの樋口一葉「たけくらべ」でいっぱいだったんで、はー? ハァ。って感じだった。
天皇陛下が亡くなっても卒論は提出しないといけないので、ああそっかぁ、年末も自粛モードだったし、そろそろみたいな空気だったしなあ、でもお正月は迎えられたねぇみたいな話をして、なんか食べて自室に戻った。
んで卒論提出日だったか1日前だったかに提出しに行って、「あなたは全然卒論見せに来ないし相談にも来ないし、心配してたんですよ」と教授に言われ、ああ普通は途中で見せながら進めるものなのか、誰もそんなん教えてくれんかったぞ、いやでもそもそも資料は集めてたけど書き始めたのは年末だしとか思いながら、アハハハーとごまかし笑いして帰った。
帰りの電車は爆睡してた。
そんなことしてる間に皇太子さまの即位とか新しい元号とかが進んでたので、正直記憶はあんまりない。
昭和天皇のお葬式の日は確か休日になったはずだけど、卒業は出来そうだったけどいまだに就職先が決まっていないというしょうもない状況だったので、これもあんまり覚えてない。

当時世の中はバブルがはじける一秒前みたいな時期でまだ景気はよく、学生は自分から就職先を探さなくても、学校に企業から「ぜひそちらの生徒さんをうちに」と申し込みがバンバン来てた。
うちの学校にもたくさん来てたけど、ほとんどが銀行と証券会社で、対人の仕事は厳しいと思ってたから学校の支援は受けずに事務の仕事を探してた。
が、陰気で人見知りで自己主張の苦手な人間なんで面接でことごとく落とされてたんすわ。

#銀行や証券会社の受付業務、一般企業の事務を「男性に対する女性らしい華やかさと気遣いと細やかさ」でこなし、3年くらい働いて25歳までに社内結婚、というのが当時一般的な女性社会人の在り様で、しかし男女平等が呪文のようにつぶやかれていて一部から総合職、技術職に就く女性も現れ始めてた時期。

結局4月になっても就職先は決まっておらず、さて、フリーターか派遣かと思ってたところに学生課から電話があり、求人が来てるが就職が決まってないのはあなただけなんで、どうですかと。
それが今勤めてる会社っす。
既に4月になってたのに請求書等の社内書類は印刷が間に合ってなくて、「=平成」ってハンコがあったな。
今「=令和」ってハンコ売ってるね。

平成ってなんだったんかなあと思うんだけど、自分の勤めてる会社の中の人を見てて思うに、「戦争を体験した世代が居なくなって、戦中の親から生まれた戦後の人たちが減って、戦争はばーちゃんの昔話程度しか知らない世代が大半を占めだした時代」と思う。
昭和がだいぶ無くなったなって気がする。
ただ、ご高齢のトップが残っているところはたくさんあるので、完全に昭和感が無くなるのはもう10年は待たないとだめかな。
その頃令和はどういう時代になってるんだろうねえ。

そして私のwindows10はバージョンが1809のため、令和が来ません…。
windowsのバージョンを下げればいいと判ったんで、1803に下げたうえで更新をかけたら落ちてきた。明日からPCも令和だー。

更新とセキュリティ→回復→前のバージョンのwindows10に戻す

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